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March 10, 2005

「息子」稽古中

musuko_a 四月公演「息子」の稽古中です。
 この作品、九年ぶりに出会った父と息子が、始めのうちは二人ともそれと気づかず、他人のつもりで話しているのが、息子のほうは途中から父だと気づくのだけど、父のほうはお終いまで気づかずに別れていくというもの。そんな二人が江戸の入口にある小さな番小屋で、火に当たりながら短いときを過ごす。ほとんどが二人だけの会話劇。過去の文献を読んでみると、「九年ぐらい会わなかった親子が、顔や声を忘れているのはおかしい。気づいたのに、空呆けるという芝居にすると、真実味にかける」という指摘が多いようです。初演は父「火の番」が四代目尾上松助、息子「金次郎」が六代目尾上菊五郎という大名優二人。本に無理があったにしても、役者の芸で魅せて評判をとったそうです。
役者の芸?・・・そんなだいそれたことは言えないけど、心の機微が観客にしっかり伝わるような芝居にしたいですね。

 今の読み合わせ稽古の段階では、三十分くらいで終わってしまいます。立ち稽古はこれからですが、動きや間が入ってもおそらく四十分ほどの芝居になるのではないかと思います。いい芝居にさえなれば、時間の長さは大きな問題ではないと思いますが、あまりにもさらさらと会話のやりとりだけが進んでいくと、とてもあっけない、内容の薄い芝居になってしまうような気がしています。なにしろ小屋の中だけの芝居がほとんどなので動きもさほどなく、そうなると、やはり間が重要になってきます。ところがこの間というやつは難しくて、観客が、「この間は、いったいなんの間?」と感じてしまうようなものなら、むしろ無いほうがいいと思うのです。悪い言葉を使うと、くそ間というやつです。

 間を置いてから台詞を言うのはたやすい事ですが、その間にきちんとした理由がなければ、ただ時間が過ぎるだけです。火の番と金次郎がなにも会話を交わさず黙っている時間があったにしても、それが気まずいのか、気まずくないのか、言葉を捜しているのか、思い出にふけっているのか、なんでもいいけど理由がなければならない。そしてそれが過剰な仕草ではなく、普段僕達が日常の中で自然にやっているような、リアルな芝居で観客に間の理由を伝えなければならない。加えて言うなら、テレビではなく舞台なので、小さすぎては伝わりきらない。
 うーん、分かっちゃいるけどほんと難しい。でも、こういう短い芝居をじっくり稽古するのは面白い。何度も読み返していると、この台詞やっぱこっちの気持ちじゃない?・・・この台詞は間をもたないと普通は言えないよな、となるとその時なにを思っている?・・・いやいや、いっそ間を持たずスパッと言ってしまったほうが・・・などなど。今はいろんなことを模索中。あーでもない、こぅでもないと悩むのが結構楽しい。おっと楽しいは不謹慎?・・そんなことないよね、芝居の稽古は厳しく、辛いときや悔しいときもあるけど、それ全部ひっくるめて楽しいものですから。

「息子 / 玄朴と長英」
4月2日~9日 前進座劇場

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